こんにちは!
SOSU代表、マイコです。
昨日、『子どもの夢、叶えます』企画を実行しました。
その時に気がついたことを、忘れないうちに書いておこうと思います。
共に学び、共に作る。

火起こしの様子
昨日の活動を振り返り、気がついたことは、子どもたちは、いつも、失敗のしようのない環境を設定されていることです。
イベントにしても、習い事にしても、大人がきちんと整え、これをしたらうまくなる。これをやったら間違いない。しっかり準備したから、失敗するほうが難しい。そして、それを、親も子も、知らないうちに提供側に求める。
そんな、消費者目線の環境設定が、いつの間にか当たり前になっていることに、私自身が気が付きました。
昨日は、川原で火をおこしました。
大人が、かまどを作り、バーベキューセットを持っていって、火を起こし、『さぁどうぞ!』で、ベッコウ飴を作ったのではありません。
その場の環境から、どうやったら火を起こせるのか、それを、一緒に考えながら進めていきました。
この進行は、最初から想定していたわけではありません。
私達も、どこかでやったことはあっても、自分たちでするのは初めての試みだったので、本当によくわからなかったんです。
そこで、自然と、子どもと同じ目線に立ち、
『あーでもない、こーでもない。』
『こうしたほうがいい、こうやったらどう??』
『それは危なくない??』
なんて、お互いにアイデアを出し合いながら進めていきました。
結果的に、私自身が、一番楽しかったのが、この、火起こしまでの時間です。
娘もこの時間が、一番、良かったらしいです。
みんな正解がわからなくて、最適解を、一緒に探す。
一人ひとりが考えて、一緒に作る。
この時間こそが、創造の時間。
共に学び、共に作る。
実体験から学ぶ

忍・忍の、加熱タイム
ベッコウ飴を作っていく過程で、火のエネルギーを体感しました。
どこまで火に近づくか、線引きは、一切していません。
もちろん、主催として目は光らせていましたが、子どもたちは、小さな子も、みんな自然に、自分で危なくない距離を感じ取り、上手に距離を取っていました。
結果、制限はしなくても、一人の火傷負傷者も、出しませんでした。
かまどだと、熱すぎておたまが持てない。(強火)
だったら、炭を小さな容器に移す。
移しすぎて、また熱い。(中火)
炭の量を減らして調整する。(弱火)
心地よくベッコウ飴を作るため、自然と強火と弱火の調整を行っていました。
大人は、あえて強火だの弱火だの、説明はしていません。
自然と学んでいる。
それで、十分だと思いました。
この体験をすれば、たとえ、IHでも、火の強さについて、ただの数字ではなく、火のエネルギーの強さとして捉えることができるようになるのではないかと思います。
子どもと一緒に作る。

自然に助け合う子どもたち
一日たち、昨日の活動を振り返り、気づいたこと。
次回イベントの進行を含めて、考えたこと。
それは、子どもを消費者にしないことです。
サービスを受けることに慣れすぎていて、自分で工夫する余地がない。
そんなイベントになったら、SOSUのイベントとしては、失敗です。
ある子どものつぶやきが、気になりました。
『某イベントにいったら、あれもこれも、いっぱいすることがあって、楽しいけど、今日は、ベッコウ飴しかないから、つまらない。』
この発言をどう受け取るか。
はじめは、やっぱり、某イベントはすごいなぁ。工夫して、よく考えられているなぁと思いました。
SOSUもそうしたほうがいいのかな…。
そう思いました。
しかし、一日たち、それって、やっぱり、大人のお膳立てに慣れている子どもの様子なんだな、って感じました。
なにもない退屈さから、遊びを生み出すことこそ、本来、子どもが最も得意とし、必要なチカラなんじゃないか。
結局、お家に帰ってから、その子は、意外にも『今日は楽しかった。』と、お母さんに話していたそうです。
次回イベントは、『巨大アート』を予定しています。
大人が、何から何までお膳立てするのではなく、予め必要な材料は用意し、みんなで相談しながら、ブルーシートをひき、画用紙を張り合わせるところからやってみたいと思うようになりました。
待ってる間、小さい子はたぶん、暇ですよね。
その暇も、あえて作る。
そこで、自分で遊ぶチカラを育てる。
SOSUは、異年齢ミックスのイベントだからこそ、これができます。
小さい子ばかりだと、無理があります。
だけど、大きい子は、6年生までいます。
それぞれの年齢で、楽しいポイントは違います。
大きい子には、発達段階上、必要な負荷があり、それを、自力で越したときの達成感。
これを、体感させてあげたいと思いました。
大人がやったほうが、絶対、キレイにできるし、失敗しない。
だけど、それじゃ意味がない。
体験学習とは、自分で生み出す活動をすること。
『巨大アート』が芸術的に評価されるような作品になることが目標ではありません。
時間のなかで、子どもがそれぞれ学ぶこと。
その活動自体が、SOSUイベントのメインコンテンツです。
SOSUの居場所としての役割

生き生きと説明するMちゃん。
子どもは、子どもなりに、学校や家庭で頑張っています。
大人もそうですが、毎日、顔を合わせる人とのコミュニケーションは、独特の気遣いが必要ですよね。
特に学校は閉鎖空間なので、一度決まってしまったイメージから、なかなか抜け出せなかったり…。
昨日のように、学校も学年も性別も、てんでバラバラに集まる場所は、とてもいい空気に包まれていました。
初対面の、最初の緊張はありますが、全く利害関係がなく、普段の自分の顔も知らず、性格も全く知られていない友だちと関わる。
のびのびと自分を表現できているように思いました。

飛び散る灰と煙。ふざけて遊ぶK君w
家庭とは違う、よその親と話をする。
家庭じゃダメなことも、意外とOKだったりする。
『あれ!?』って思う。
親は親で、自然といろんな子に声をかける。
他の家庭の文化も垣間見る。
特に、高学年を越していくと、親ではない人間関係からの学びが、とても大切になってきます。
それぞれの生活とは、全く別空間の居場所。
だけど、定期的に顔を合わせる人。
深すぎず、浅すぎない。
イベントを重ねていくことで、SOSUが、親子双方にとって、そんな、もうひとつの居場所になっていけたらいいなぁと思います。
外遊びの価値

遠投・飛び石にチャレンジしている様子
自然は、母性的エネルギーを持っています。
- 水の音
- 鳥やカエルの鳴き声
- 風の音
- 木々の揺れ
- 太陽のぬくもり
- 光。
すべて、受容されているという感覚を、人間にもたらします。
これは、敬愛する心理学者:河合隼雄さんの本に書いてあり、そのとおりだと思いました。
昔は親が忙しく、農作業繁忙期は、田んぼの畦道に、かごの中に入れた赤ちゃんを置いておいても、自然の母親的包容力が赤ちゃんをあやしてくれていた。
現代は、コンクリートの壁の中。
ただ、赤ちゃんを寝かしておくだけでも、赤ちゃんの経験は、全く違う。
そんな記述を読み、感慨を受けました。
箱に閉じこもっていては感じられない、外遊びの価値は、そんな、自然の包容力にどっぷり浸かるという気持ちよさも隠れています。
ありのまま、しっかり受容されたと感じて育つことが、子どもにとっては、もっとも重要な感覚です。
そんな意識をもち、イベントを考え、これからも子どもたちと関わっていきたいと思いました。
私自身も、やりながら学んでいます。
最適解を一緒に考えながら、経験を積み、一歩ずつ、進めていこうと思います。
主旨に賛同してくださいましたら、ぜひ、一緒にSOSUを育ててやってください☆
最後までお読みくださり、ありがとうございました。
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